| おしえて№493 投稿者 yutaさん |
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『卑』という字は、今は卑しいなどに使われていますが、邪馬台国の時代では尊いという意味を持っていたそうです。いったいいつ頃から意味が変わってしまったんでしょうか?
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浜ちゃん
邪馬台国の時代でも、「卑」は「いやしい」という意味であって「尊い」という意味はありませんでした。だからこそ、魏志倭人伝に魏に朝献した国の指導者の名前に「卑弥呼」とのいやしめた漢字を使ったのです。魏は当時の大国ですから、その正史に属国の指導者を「尊い」と書くはずがありません。
くろぅさん
くろぅの調べた限りでは邪馬台国のころ「卑」という字が尊い意味を示していた証拠が出てきませんでした。もともとこの字の解釈は、たけの低い平らなしゃもじを手に持つさまを示す。薄べたく厚さがとぼしい意を含む。薄いものは背がひくいので、転じて身分のひくい小者の意となる。とされています。卑弥呼の記述は2世紀後半の後漢書東夷伝、また有名な魏志倭人伝に見られますが、このヒミコの名前については火の巫女あるいは日の神子の当て字と解釈するケースがあります。結局は大陸の書物の中で書かれた文字ですからこの字をもって当てても不思議はないところです。
matsumotoさん
「卑」はやっぱり「卑しい」の意味ではないでしょうか。
邪馬台国の時代は3世紀前半で、当時の中国は東アジアでは突出した文明国であり、周囲の異民族(日本を含めて)は中国から見ると未開の蛮族とみなされ「夷、狄、蛮、奴、卑」等の蔑みのこもった名称で呼ばれていました。
「卑弥呼」というのも(多分当て字)「野蛮人の女王」みたいな意味合いがあったのではないでしょうか。
そくらちゃん
この問題に関し、私は締め切り日の今日まで吉田拓郎でした。「私は今日まで悩んできました。」そして今、思っています。「卑」という漢字に「尊い」という意味があった時代はありません。そう、思わざるを得ないのです。中国で生まれた漢字として、「卑」は当初から卑しいです。
これが、邪馬台国では、「尊い」という意味をもっていた、とは想像できないのです。また、そういう意味があった、とする説も、想像だと思いますが。
そこで、想像で、「卑弥呼」という名の意味を考えてみたのですが、これもまた、すんなり落ちません。一般的には、火の国の巫女(みこ)、倭の奴国(わのなのくに)という火山地帯の巫女というところなのでしょうが、果たして……。
もうひとつ想像できることは、これらがすべて中国の本にしか記載されていない、日本発の情報でない、という点からすると、「ひみこ」と発音されていたように聞いただけで、「貴巫女」に近い発音だったのかもしれないのです。しかし、当時の中国から見れば、野蛮で卑しい国の単なる巫女だったから「卑弥呼」と呼んだだけなのかも知れないのです。
従って、そくら流歴史解釈で、「貴=尊い巫女(みこには御子とか皇子、皇女という漢字も当てはまります)」であるから、日本人にとっては、尊い女王様だったのだ、と結論をつけたい、と思います。
これは、そのほかの方の回答を楽しみに待ちたい、と思います。
Tsuneさん
現在の日本語では、「卑」という字は、単体では用いず、送り仮名を振って、「卑しい」としての使い方しか有りません。これはまた、「賤しい」と同じ意味となり、現在では、「下品」とか「意地汚い」という意味でしか用いられていません。
しかし、「卑弥呼」の名前にも使われているように、邪馬台国の時代には、悪い意味では使われていなかったと思われます。
更に色々調べてみたのですが、「卑」という字を「尊い」という意味で扱っているものが有りませんでした。言葉は生きており、時代とともに意味が変わってくるのもしごく当然のことであります。そこで、想像するしかないのですが、少なくとも邪馬台国の時代である、二世紀後半から三世紀にかけては、「尊い」という意味で使われていたものが、その後のいつの時代からか、少しづつ意味が変わり、現在の意味に至っていると思われます。
さやさん
邪馬台国の時代は「卑弥呼」が尊い方として言われていましたが、いつの時代かには卑弥呼のように予言などの出来る者は常人じゃない。と言われ、このように変化してしまいました。
tamaさん
中国には「中華思想」というのがあります。ちなみに、日本の方角は東夷です。(東の卑しい人の国ってかんじで表現されます。)簡単に説明すると、中国こそが一番!というような思想です。(つまり、中国以外の地域は下等な民族が住んでいる地域としての意味があります。)
以上の点から、魏の時代から「卑弥呼」という名前には、あまりいい意味(漢字)は含まれていなかったのではないでしょうか。
らいこうさん
まず、ひとつの考え方として、卑弥呼というのは日見子であり、太陽を見て天候や暦を読む、つまり農耕社会の国王を表した称号だったという考え方です(古代、暦を司ることが王の象徴だったのです)。中国にその名が伝わり、倭国(小人の国)の王という意味で、卑弥呼と字が充てられたのだと考えられます。
当時の中国は、中国が最も優れた国であり、その優れた国は劣った国を歓迎し、暖かく迎えるべきだと考えられていました。中国は訪問客に金品宝飾品を大量に下賜し、忠誠を誓わせたのです(明朝の時などは負担が大きくなりすぎて滅びました)。卑弥呼の遣いを篤くもてなしたというのは、要するにこの流れのことであって、対等に見られていたわけではありません。聖徳太子が「日出る処の天子、日の没する処の天子にいたす。恙無きや」の名文を発するまで、日本は低く見られていたと考えたほうが自然です。
もうひとつ、yutaさんの本に載っていた内容に沿った考え方をするならば、土慣らしをする作業(卑の語源)は、つまり、国作りの基礎をする作業と等しいから、「はじめの王」という意味で、卑弥呼と名付けたのかも知れませんね。ただ、当時の日本には文字がなかったので、この考え方は多少無理がありますねぇ。
よしみさん
字が読めない人が読んだ時。私みたいな事を言いますね。
ホントニなんて読むんだろぉ・・・???
のんきさん
ここだけの話なんですが、うちのおばあちゃんが卑弥呼のことをよ〜く知っていました。なぜ「卑」の字が使われたかも。でもおばあちゃんの遺言で他言してはいけないことになっているんです。
ほんとは知ってるんだけど言えないの、祟りがあるから。
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C |
D |
E |
計 |
やった! |
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5 |
3 |
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4 |
21 |
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くろぅさん のんきさんのおばあちゃんが卑弥呼と知り合いなら・・・
約2000年を3世代ですか・・
のんきさん、あなたは今600才くらいですか。
すでに祟られています。 |
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皆さんかなりの難問に頭を抱えていらっしゃったようですね。当時の状況で考えると「野蛮な国の女王」だからというのが一番すんなりと落ちる説だと思うのですが果たして?はるか遠い昔邪馬台国の女王はどんな意味合いで呼ばれていたのでしょうか。考えるだけでもドキドキしますね。 |
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正答者の方々です。本当にありがとうございました。 |
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浜ちゃん・くろぅさん・matsumotoさん・そくらちゃん・Tsuneさん・さやさん・らいこうさん・tamaちゃん・よしみさん★・のんきさん★ |
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